2005年01月19日

40年続いた「夢記」

河合隼雄1928-
hayao kawai

「明恵 夢を生きる」

「明恵の「夢記」を読んだ。このときは、とうとう
日本人の師を見出したという強い確信をもった。」
(河合)


明恵 夢を生きる

<華厳の世界>
「この教典は複雑であり、また茫洋としてつかみど
ころがない。しかしはっきりわからないままでも心
して読んでいくうちに、なにか途方もなく大きな、
大海原のようなブッダの悟りが、ひたひたとわれわ
れの心にもうちよせてくるのを感ずる。」(中村元)

<明恵の「夢記」>
19才以後約40年にわたって書き続けられ、死の前年
弟子の空達房定真に預けられた。少なからずの断簡
は掛け軸となり、茶人に愛好されている。

<明恵の生きた時代>
1173 明恵(1才)、紀州に生まれる。同年、親鸞誕生。
1185 明恵(13才)、壇ノ浦の合戦。平家滅亡。
1192 明恵(20才)、頼朝、幕府を開く。
1196 明恵(24才)、明恵、右耳を切る。

耳を切った翌日、文殊菩薩の顕現する夢想を得た。
「同25日、釈迦大師の御前において夢想観を修す。
空中に文殊菩薩現形す。」(「文殊現形の夢」)

1205 明恵(33才)、「新古今和歌集」成る。
1212 明恵(40才)、「方丈記」(鴨長明)成る。法然没。
1224 明恵(52才)、「教行信証」(親鸞)成る。
1227 明恵(55才)、道元帰国。曹洞宗を開く。
1232 明恵没(60才)

<「貞永式目」という事件>
「貞永式目」(泰時)は何らの法理上の典拠に基づかない
で制定された人類史上初の法律ですが、以後600年、明治
に至るまで続いたのである。そして、その背景に明恵の
華厳思想としての”道理”(あるべきようは)がある、と
山本七平氏は推論する。


panse280
posted at 00:18

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