2005年01月04日
信ずることと知ること
<柳田国男の感受性>
柳田国男さんの「故郷七十年」に、十四の
時の経験が書いてある。それは、石で作った
小さな祠(ほこら)で、死んだおばあさんを
祀ってあるという。子供心にその祠の中が見
たくてしかたがなかった。ある日、扉を開け
てみると、握り拳くらいの蝋石(ろうせき)
が納まっていた。その時、不思議な、実に
奇妙な感じに襲われたというのです。
そして、ふっと見上げた空に数十の星がきら
めくのが見えたと言う。昼間である。その時
鵯(ひよどり)がピイッと鳴いた。その声で
はっと、我に返った。
もしも、鵯が鳴かなかったら、私は発狂して
いただろう。
「私は、それを読んだ時、感動しました。柳
田さんという人が分かったという風に感じま
した。鵯が鳴かなかったら発狂したであろう
というような、そういう柳田さんの感受性が、
その学問のうちで大きな役割を果たしている
事を感じたのです。」
柳田国男さんの「故郷七十年」に、十四の
時の経験が書いてある。それは、石で作った
小さな祠(ほこら)で、死んだおばあさんを
祀ってあるという。子供心にその祠の中が見
たくてしかたがなかった。ある日、扉を開け
てみると、握り拳くらいの蝋石(ろうせき)
が納まっていた。その時、不思議な、実に
奇妙な感じに襲われたというのです。
そして、ふっと見上げた空に数十の星がきら
めくのが見えたと言う。昼間である。その時
鵯(ひよどり)がピイッと鳴いた。その声で
はっと、我に返った。
もしも、鵯が鳴かなかったら、私は発狂して
いただろう。
「私は、それを読んだ時、感動しました。柳
田さんという人が分かったという風に感じま
した。鵯が鳴かなかったら発狂したであろう
というような、そういう柳田さんの感受性が、
その学問のうちで大きな役割を果たしている
事を感じたのです。」